余計な本能




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Nikon D300. VR 18-200mm f/3.5-5.6G.
1/1600, f/3.8, at 26mm, ISO 320.
with Nikon Capture NX2.









人間は夢を見る生き物である。

夢を見る・・・と言うと寝ている間に見るあの「夢」という意味合いにもなってしまうが、
この場合「夢を抱く」方の夢である。




犬やらネコやら魚やら・・・
はたして夢を抱くであろうか。


絶対に抱いていない・・・とは言えないかも知れないが、どう見ても夢を抱いて
それを叶える為に行動しているとは思えないので。
(全ての行為が子孫繁栄、生き抜く為のそれにしか見えないので)

この場合、仮に夢を抱いているとしても、夢を叶える為の行為そのものが
本能による行為、行動と言えるだろう。






が、人間は違う。






夢を叶える為の行為が、はたして生きて行く為に必要不可欠か・・・と言われると
決してそうではない。

夢など抱かなくても生きて行ける。




古代エジプト人達は夢を抱いたであろうか。
王族などの人々は夢と言うか野望と言うか、そういった類のものは持ち合わせたかもしれないが。
一生かかっても完成しないピラミッドの、ほんの一部分になるにしか過ぎない巨石を
一生かかって運んできては積み上げていた人々には・・・

夢を抱くことが出来たのであろうか。

それこそ、本当に眠っている間に見る夢こそが彼らにとっては束の間の「夢」だったのではないだろうか。
パンを腹一杯食う、冷たい水をお腹を壊すまで飲む・・・そういった事が夢だったのかも知れない。







現在を生きる我々は、叶うかどうかは別としても、少なくとも夢を抱くことは出来る。

ところがこの「夢を抱く」という行為。
これが時に、人生を狂わせ、はたまた人生をこの上なく幸福なものとする。

夢を抱くことが出来る・・・というのは、恵まれているとも言えるし、同時に不幸でもあると言えるかも知れない。
夢など抱かず、生き抜く為に必死に「生きる」ことに集中する一生というのも、
ある意味幸せかも知れない。


ただ、現在の価値観の下で生きる多くの人々は、
「夢のない人生など寂しい・・・夢を抱く行為こそが、人間の本能だ」と言うのではないか。
もしそうだとしたら、人間はいつからそんな余計な本能を身に付けたのか・・・と僕は思う。




寂しいもなにもない。
我々は与えられた一生という時間を、生きて行くだけなのである。





などと、こんな小難しいことを考えるのも人間だけだろうと思うが。笑





人の夢と書いて、儚(はかな)い、と読む。




昔聞いたフレーズなのだが、どうにも脳裏から離れない。














自分の人生などとは、かくも儚いものなのであろうか。











daisuke 36

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by daisuke_yanai | 2012-01-13 21:01 | Comments(0)
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