ルンバへ。




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衆院選の結果を受けて、気温はかなり寒いであろうにもかかわらず、
世間は何かと熱く、騒がしくしていた平成24年12月18日早朝。
大阪の実家で、愛犬がこの世を去った。


名を「ルンバ」と言う。
母親がのめり込んでいたダンスにちなんで付けられたのだろうが。
灰色がかったシーズーであった(はず)。


ルンバは僕が日本を去って間もなく、両親の承諾も得ずに妹がどこからか貰って来たのか拾って来たのか。
実家と言ってもマンションであるので犬を飼うこと自体がどうか・・・とも思われるところを
何故に妹が敢えて連れて来たのか。
そこは後から思うと妹なりに考えがあっての事であったと思うが。

とにかく僕がいなくなったところへ、家族として迎え入れられたのであった。



正直、僕とルンバが接したのは、ルンバの生涯の中でも1週間ほどであった。
僕が10年ほど前に一時帰国して大阪に滞在した間のみである。
初対面の時にはもの凄く吠えられたのであろうが、その後の僕と家族との接し方をみて
不審者ではないと認識したのかどうか。吠えられた記憶もあまりない。
その代わり、もの凄くなついた・・・という記憶もない。
なので、先に愛犬と言ったものの、正直僕の中ではいわゆる「愛犬」というほどの感情はなく。
ただ、実家の家族の心中を察するに、心を痛めずにはいられない、という事なのである。



半ば無謀とも言える状況で日本を飛び出して以来14年、もうすぐ15年が経とうとしている。
その間、僕も僕なりにサイパンでの人生を歩み今に至っているのだが。
出発はどうであれ、結果としての今の僕の人生をどう捉えるか・・・と考えた時に。

決して悪いものでもないな・・・と、思う。

生活は困窮を極め、子ども達にも物質的には贅沢もさせてやれていないが、
精神的な面においては、この上なく幸せな生活だと思っているから。


ただ、この生活、人生を得る為に犠牲にしてきたものもあるはずで。
犠牲と言うと何だか良い響きではないので、「選択しなかったもの」という方が適当であろうか。


日本での人生である。



ちょっと話が逸れるが、人生と言うとあたかも自分だけの人生の事を言うようであるが、
実はそうではない。

例えば僕の子どもらが僕の人生において重要な要素であるように。
子どもらの人生そのものが、僕の人生の一部、いや大部分になるのである。


僕がサイパンに来て15年経つという事は、日本にいなかった時間が15年になるわけで。
その間、大阪の家族と離れていたという事になり、両親、妹の人生において、
15年僕が一緒でなかった部分が出来てしまっているわけで。
重要な要素としての僕の人生が、少なくとも身近なものではなかったのである。



その間、僕の代役をルンバが務めてくれたとは言わないが、少なくとも両親、妹の人生において
重要な要素であってくれた事は間違いない。
要素と言うと何やらモノみたいに聞こえるので言い換えるとすると、
彼らの人生の重要な一部分であってくれた、と言えると思う。
本来僕が果たすべき役割を、ルンバが生涯をかけて果たしてくれたのだと思う。


そういう意味で、僕はここ2年ほどか、スカイプ越しでしか相対していなかったルンバに対しても
少なくとも家族の一員としての気持ちは持っていた。
散歩に連れて行ったわけでもなく、餌を与えていたわけでもないが・・・
実家のテレビ画面のみが写る僕のパソコン画面越しに、ルンバの気配というものを
遠いサイパンの地からも感じていたのである。






12月に入ってから実家のネット回線がトラブルに見舞われたとかで。
ちょうど電気屋に直しに来てもらって、久しぶりにスカイプが繋がった17日夜。
親父からここ数日でルンバがかなり弱った事、もう年を越せないだろうとも言われて。
動けなくなっているルンバの前に、いつになくカメラを寄せてくれて。

おそらくルンバも僕の気配と、声に気付いていたものと思う。




翌朝の親父からのメールで、最後に挨拶が出来てよかったワ・・・と。





生涯で数日しか接しなかった僕とルンバではあるが・・・
ルンバがどう感じてくれていたかは知る由もないが。
少なくとも僕の人生においては、ある意味、もの凄く大きな存在であると思う。

僕が務められなかった時間を、生き抜いてくれたのだから。







今までありがとう、ルンバ。


安らかに眠って下さい。











daisuke 37

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by daisuke_yanai | 2012-12-19 23:41 | 家族 | Comments(0)
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